2008年02月25日
旅立つひと
先週コドモに、彼の初めての自転車が届いた。
中古なのだけど、自転車屋 を営む兄が、コドモのためにバラバラに分解して手入れをし、丁寧に組み立ててくれたもの。
体調を崩したり家を空けたり天候が悪かったりでなかなか出かけることができなかったのだけど昨日、ようやくサイクリングに出かけることができた。と言っても、ぼくは徒歩で付き添いだったのだけど。
結局三輪車は乗りこなせなかった彼なのだけど、自転車だとペダルがずっと軽く、すいすいとまでは行かなくてもぼちぼち進むことはできる。
笑みをこぼしながら、
「すごいねえ、はやいねえ、かめんらいだーのじてんしゃだねえ」なんて言っている。
乗っているうちにどんどん上手になって、でたらめ歌の鼻歌まじりで良い調子。歩いて散歩するのよりずっとはやく、これだと徒歩の倍くらいは遠くに行けそう。
川原に出て堤防の下の道を走っていると、コドモが、
「おとうさんはそこにいて、じっとしててね」と言う。
ぼくが立ち止まっていると、コドモは枯れすすきの間の道をどんどん、ずいぶん行ってから振り返り、ぼくを見て笑った。ひとりで行ってみる挑戦だったみたい。
自転車は翼、とうとう彼も銀の靴を手に入れたらしい。
そんなきみを、とうさんはまぶしく見送ろう。
(親ばかアルバム)
2008年02月24日
メメント・モリ
・・・なんてことを突然書いたのは、昨日、小さい頃よく世話になった叔父の見舞いに行ってきて、考えることがあったから。
ぼくがごく小さかった頃、母と妹が大きな病気をした際、しばらくの間その叔父夫婦の家に預けられていたのだった。そのせいなのかもっと深い縁があったのか、彼と自分の相貌や雰囲気、仕草や声等がよく似ているというのは自他共に認めるところで、親類の中でも特別なつながりを感じる身内なのだった。
去年の5月から入院治療を続けている事は聞いていたのだが、詳細は知らないままだった。金曜の夜、実家の父から連絡があり、容態が危ういということだったので、土曜の朝早くに家を出て、大阪の外れ、河内長野の病院まで行ってきた。
さいわいまだ意識がはっきりしていて、言葉を交わす事ができたのだけれど、主治医によると、全身に疾病が広がり、いつ何があってもおかしくない状況らしい。
相部屋の狭い仕切りの内のベッドに横たわる彼は、死にゆく人だった。
そんな彼を見て、改めて、人生をいうことを考えた。
誰もがこうして果ててゆく。時には緩慢に、時には突然に。命はこんなにもはかない。守ろうにも、飾り立てようにも、あまりにたやすく指の間をすり抜けて落ちてゆく。
ならば。必ず訪れる死を恐れても仕方がない。むしろその日まで、残された日々を大切に、あるいは貪欲に充実させてゆこう。尻込みして背を向けない限り、できないことなどほとんど無いのだから。
この生に、そして死にも感謝を。
2008年02月23日
祈りしての暮らし(忘却の涯てに)
太古のひとびとの暮らしでは折々の儀礼が今よりもはるかに重んじられ、
それらを中心に生活が回っていたのだと思う。
そこでは、人々の役割や目指すべき道がはっきりと定められ、
「生きてゆく」ということがわかりやすく示されていたように思う。
人は愚かなので、本来素朴によりよく生きてゆくすべを教えていた信仰は、組織化するにつれたちまちに形骸化され変容腐敗し、否定され放逐され、再生しまた破壊されという歴史が止めどもなく繰り返されてきたのだけれど、生きる指針を与えてくれる「信仰」自体は、不要なものだとはけして思えない。
全ての枠組みを外して自ずから高みを目指してゆけるほど、人は崇高ではない。
特定の信仰や教義に深く帰依する必要はないと思うのだけれど、暮らしの神聖な時間を取り戻すべき時代が、ようやく巡ってきているのではないかと思う。
大いなるものによって生かされているということ、母なる大地、降り注ぐ光や巡る風の恵みを受けて暮らしているということへの感謝し、ぼくらのたましいの遠いゆくすえを見やりつつ、ごくシンプルな真理に沿って綴ってゆく日々。
そんな「祈りとしての暮らし」を思い出してゆこう。
それらを中心に生活が回っていたのだと思う。
そこでは、人々の役割や目指すべき道がはっきりと定められ、
「生きてゆく」ということがわかりやすく示されていたように思う。
人は愚かなので、本来素朴によりよく生きてゆくすべを教えていた信仰は、組織化するにつれたちまちに形骸化され変容腐敗し、否定され放逐され、再生しまた破壊されという歴史が止めどもなく繰り返されてきたのだけれど、生きる指針を与えてくれる「信仰」自体は、不要なものだとはけして思えない。
全ての枠組みを外して自ずから高みを目指してゆけるほど、人は崇高ではない。
特定の信仰や教義に深く帰依する必要はないと思うのだけれど、暮らしの神聖な時間を取り戻すべき時代が、ようやく巡ってきているのではないかと思う。
大いなるものによって生かされているということ、母なる大地、降り注ぐ光や巡る風の恵みを受けて暮らしているということへの感謝し、ぼくらのたましいの遠いゆくすえを見やりつつ、ごくシンプルな真理に沿って綴ってゆく日々。
そんな「祈りとしての暮らし」を思い出してゆこう。
2008年02月22日
ぼくをしんじて!
コドモが近頃、どこで覚えたのやら「しんじてよ」とよく言うのだ
が、どうも文脈がおかしい。よくよく聞いてみると、どうやら「はなし
をきいて」という意味合いで使っているらしい。
ぼくとツレアイが話をしていると間に入ってきて、
「れんくんのこともしんじてよう!」
なんて言う。
彼が話しかけているのにぼくが上の空で生返事なんかしていると怒っ
て、泣きながら、
「おとうさん、しんじてよ〜っ!!」と叫びながら走っていったりする。
なんか安っぽいドラマみたいで笑っちゃう。おもしろいのでしばらく
そのままにしている。というより、話を聞きながら、「うんうん、お
とーさんはきみをしんじてるよ」なんて言って煽ってます。
ほかにも、
「そんなけしきはいらーなーい」とか「ぼくのきせきをー」
とか、あれこれわからん言葉をばしばし使って歌ったりしてます。おも
ろいヤツやわ。
が、どうも文脈がおかしい。よくよく聞いてみると、どうやら「はなし
をきいて」という意味合いで使っているらしい。
ぼくとツレアイが話をしていると間に入ってきて、
「れんくんのこともしんじてよう!」
なんて言う。
彼が話しかけているのにぼくが上の空で生返事なんかしていると怒っ
て、泣きながら、
「おとうさん、しんじてよ〜っ!!」と叫びながら走っていったりする。
なんか安っぽいドラマみたいで笑っちゃう。おもしろいのでしばらく
そのままにしている。というより、話を聞きながら、「うんうん、お
とーさんはきみをしんじてるよ」なんて言って煽ってます。
ほかにも、
「そんなけしきはいらーなーい」とか「ぼくのきせきをー」
とか、あれこれわからん言葉をばしばし使って歌ったりしてます。おも
ろいヤツやわ。
2008年02月21日
おとうさんのおみせの二階には・・
コドモには以前から店のプランの話をしていて、彼はそれなりに理解しているようで、「あかちゃんんにはちいさいおにぎりつくってあげようね」とか「ぼくものこぎりできるの、てつだってあげるね」とか心強いことを言ってくれている。
今朝も自転車で彼を保育園に送って行きながらお喋りしているとふと、
「おとーさん、あかちゃんがくるみせのにかいのうえにね・・」
と言い出したので、なにか素敵なアイディアを提供してくれるのかと思って、ふむふむと聞いていると、
「・・・にかいのうえにはね、やねをつけようね」
だって。
青空天井でやるつもりはあんまりなかったんだけど、確かに屋根はないとね(^^)
今朝も自転車で彼を保育園に送って行きながらお喋りしているとふと、
「おとーさん、あかちゃんがくるみせのにかいのうえにね・・」
と言い出したので、なにか素敵なアイディアを提供してくれるのかと思って、ふむふむと聞いていると、
「・・・にかいのうえにはね、やねをつけようね」
だって。
青空天井でやるつもりはあんまりなかったんだけど、確かに屋根はないとね(^^)
2008年02月19日
げんきではっぴー
昨日も休みをもらって、家で体を休めていた。おかげで今朝はもうすっきり。
具合が悪いときはきっぱり休むのも大切なことだと思う。病気やケガはすべて「メッセージ」なのだとも言うし。
いろんな場合があるのだろうけど、取り敢えずはともかくも「一旦立ち止まれ」ということなのだと思う。
それにしても、こうして体が軽く、自在に動くということのありがたさよ。さわやかな朝をありがとう。
具合が悪いときはきっぱり休むのも大切なことだと思う。病気やケガはすべて「メッセージ」なのだとも言うし。
いろんな場合があるのだろうけど、取り敢えずはともかくも「一旦立ち止まれ」ということなのだと思う。
それにしても、こうして体が軽く、自在に動くということのありがたさよ。さわやかな朝をありがとう。
2008年02月18日
機能停止
昨日、朝方3:00頃に起きて、あれこれ仕事をしようと思ったら、お腹の具合が悪く、おまけに吐き気もするので、あたたかい紅茶を一杯だけ飲んで、再び床についた。6:00くらいにもう一度起きるが、まだ具合が悪い。熱が上がってきたようなので、牛乳を温めて飲んで、正露丸も3粒流し込んで、またベッドに伏せる。
結局夕方までほとんど、ずううっと横になってうとうとしていた。
風邪を引くなんて久しぶりだわ。きりきりと気ばかりが焦る日が続いていて、どこか疲れが溜まっていたのかも。
玉子のおかゆを作って食べて、早寝したのでした。
結局夕方までほとんど、ずううっと横になってうとうとしていた。
風邪を引くなんて久しぶりだわ。きりきりと気ばかりが焦る日が続いていて、どこか疲れが溜まっていたのかも。
玉子のおかゆを作って食べて、早寝したのでした。
2008年02月16日
beautiful day
コドモを自転車に乗せて、前から気になっていた カフェ にランチをしに行った。
雪が降ったりしてひどく冷える日が続いていたのだけれど、今日は日射しが暖かく、風も穏やかで、快適なサイクリングだった。
こぢんまりした店だけど、その分すみずみまでこだわりや手入れが行き届いているかんじで、実に快適。採光がたっぷり確保された明るい店内の、ぼく好みの奥まった席に案内され、陽は当たらないものに、壁に当たった間接光でやわらかく照らされているという贅沢な場所で、トッピングたっぷりのカレーを食べた。コドモには5個100円のメレンゲを。
つい本を読みたくなるような、この「居場所」感はスゴイと思う。細かな気配りの積み重ねによってこそ、こういう場所が演出できるのだと思う。それにしても、自転車で行ける距離に、こういう頼もしい「先輩」があるのはうれしい。
自転車でとことこ走っていても、カフェでくつろいでいても、家に帰って、散らかった机の上を見ても、神さまはときおり、こういう日をプレゼントしてくださるのだな、と思うくらい、今日は何もかもがうつくしいと思える日だった。
2008年02月09日
また雪
コドモの、津新町駅近くの「Add Cafe」に行ってきた。
大通りからちょっと入ったところにある、民家を改装した(セルフでやったらしい!)カフェで、とても居心地が良い。和風モダン、と言うのかしら、ところどころに残った民家の名残りが味わい深いのです。
向かう途中で雪が降り始めたのだけれど、1時間ほどランチして出てみたら、外がすっかり雪景色でまたびっくり。
コドモは、カフェのとなりにできた雪の原をみて「♪犬はよろこび 庭かけまわり」という歌そのままに、長靴でてこてこ走り回り、「もーそろそろかえろーよーう」という父の声なんか耳に入らない様子で、帽子を白くしながらずいぶん長い間遊んでいた。
クルマのひとたちには迷惑な雪だろうけど、ぼくらにはすてきな真冬のプレゼントだった。
2008年02月08日
厳寒と闇

仕事を終えて戸締まりをし、灯りを落としたら辺りがやけに暗い。いつもは見えているはずの、園庭の向こう側の遊具が見えないくらい。どうしたのかと思ったら、今夜は新月で、月あかりが無いのだった。
暗い道を自転車で走ると、いつもより星がよく見える。オリオンは真上、天高く。田圃の向こうに里山の稜線が暗く浮かんでいる。
寒さは極みのようで、綿入りのグローブをはめていても、指がかじかんでくる。目の下まで覆ったネックウォーマー越しに、白い息が流れてゆく。
こんな暗くてひどく凍みる夜なのに、気持ちが踊るのは、やがて来る春を予感しているから。月がまた満ちてくるのを知っているから。
逆境を乗り越えるのに必要なのは、強靱な力ではなく、こういう、光の在りかを信じる智慧なのかもしれない。(ぼくはのほほんと暮らしているだけだけど)
2008年02月07日
まわるひと(お気楽RJ)
年長クラスで過ごした。園庭でたっぷり遊んで部屋に入り、給食の支度をしていたら、配膳の手伝いをしてくれる「おとうばん」の子がひとり足りない。
探しに出ると、誰もいなくなった園庭の向こうの方にその子がいた。おもちゃを片づけてくれているらしい。
「かえっておいでね〜!」と声を掛けておいて、仕事を進め、だいぶん経ってからふと目をやると、その子が園庭中央でぐるぐると回っている。
「おーい、なにしてんの〜!?」と多少いらだちつつ呼んだら、さらにしばらく回ってからようやく、回りすぎてふらふらした足取りで、のんびり部屋に向かってきた。
わざと怒った口調で、「もう、おとうばんのしごともしないで何してんだよう、ぷんぷん!」と叱りつけたら、
「あんなー、うちゅうせんかんやまとのうた、うたっててん。♪うちゅ〜せんかんや〜ま〜と〜♪って」だって。
なーんじゃそら。宇宙はきみの頭の中や!と言いたいところだけど抑えて、ああそう、手ぇ洗ってエプロンしてねー、と声を掛けながら、その子の屈託無くすっきりした笑顔につられて、ぼくも笑ってしまった。
生きてゆくとどーせいろいろあるんだから、深刻ぶるよりは、お気楽でいるほうがずっといい、そんな生き方を教えてもらった気がする。ありがと。
でももうすこしちゃんとしなさい (^^)
2008年02月06日
おかえり、キヨシロー!

実は大好きなんです、忌野清志郎。
喉頭癌の治療でずっと活動を停止していた彼が、今夜のNHKの番組でついにカムバック!
そんで、いきなり「雨上がりの夜空に」。もう感涙ですわ。50も半ばの彼がこんだけ頑張ってるんだから、ぼくがへろへろしてるバヤイじゃねーぜ、ベイビー。がんがん行くぜ。
2008年02月05日
一本橋から
通勤路でいつも通る橋の上から。ここの深い景色を眺めるのが好き。
「(それでも)世界はうつくしい」と思っていた方が幸せでいられると思う。
2008年02月04日
実録、鬼来襲
昨夜、お約束なので、ウチでも鬼払いをした。
食事が終わる頃、ぼくがトイレに立つふりをして、急いで着替え、外に出て玄関のチャイムを鳴らす。ツレアイがカギを開けたら、「おにだぞ〜う!」と部屋に乱入。
「ぼくがやっつけてあげる」と息巻いていたコドモだが、声を聞くなり「ぎょえ〜!」と大泣きし、「おかーさんがやっつけて〜」と母親にしがみつく。
それでも、母親に励まされ、何とか撃退したのだった。
以下、ビデオの抄録(予め三脚に据えて撮影していたのだった)。
天気が悪かったので、部屋干しの洗濯物はご勘弁。

鬼登場。

豆でやっつける。

詫びる鬼。

仲直りの握手。

「どうもおさわがせしました」 「いえいえお世話になりました」

「また来年おじゃましますので」と再会を誓い、去ってゆく。
もう春はそこまで。
食事が終わる頃、ぼくがトイレに立つふりをして、急いで着替え、外に出て玄関のチャイムを鳴らす。ツレアイがカギを開けたら、「おにだぞ〜う!」と部屋に乱入。
「ぼくがやっつけてあげる」と息巻いていたコドモだが、声を聞くなり「ぎょえ〜!」と大泣きし、「おかーさんがやっつけて〜」と母親にしがみつく。
それでも、母親に励まされ、何とか撃退したのだった。
以下、ビデオの抄録(予め三脚に据えて撮影していたのだった)。
天気が悪かったので、部屋干しの洗濯物はご勘弁。

鬼登場。

豆でやっつける。

詫びる鬼。

仲直りの握手。

「どうもおさわがせしました」 「いえいえお世話になりました」

「また来年おじゃましますので」と再会を誓い、去ってゆく。
もう春はそこまで。
2008年02月03日
太巻き、丸干し、おすまし
雪で買い物が億劫だったので、あり合わせで。太巻きは、ツナ/牛肉のしぐれ煮(いただきもの)/茹でたほうれん草/刻みキャベツ/レタス で。コドモのは自分で巻いていた。海苔大好きのコドモは、ラッパを吹くようにしてむしゃもり食べていた。
丸干しは、職場で一括注文してあったもの。
おすましは、けずりぶしで出しを取って、大根/春菊/わかめ で。
海苔って好きな子が多いし、食べやすいし、具によってバリエーションを作りやすいし、ひとつひとつおにぎり作るよりずっと手間がかからないので、これもb-cafeのキッズメニューに入れるつもり。
2008年02月03日
たまごどん
2008年02月03日
テルモス2号
愛用のテルモスのステンレスポットの600mlサイズ、溜色のものを取り寄せてみた。
b-Cafeで出す紅茶(茶葉はムジカで!)はもちろん、ポットサービスにしたいのだけど、小さな子が手を伸ばすテーブルに、熱いお茶が入ったポットは置けない。
それで倒れてもこぼれないステンレスポットを、と考えていたのだけど、ステン色のはちょっと味気ない。そう思っていたら、最近になってこういうシックな色(色名からして、漆塗りからの発想だと思う)のが出ていたので、モニタ用に注文したのだった。
さっそく早起きした朝、茶葉と沸き立ての湯をたっぷり注いで蓋をして、自室に持って上がった。
使ってみるとやっぱり快適。用事を思い出して席を立っている間に冷めることもないし、つまずいてこぼしてしまう心配もない。小さめのマグに少しずつ注ぐので、いつも熱いのを飲むことができる。
茶葉が出てくるかと思ったけれど、それほどでもない。カップに出ても沈むので気にしなければ気にならないし。お茶パックは使いたくないので、お客様用には小さなストレーナーを用意しよう。
つや消しの白というのもあるので、こっちはコーヒー用にするのもいいな。ドリッパーがそのまま置けるみたいだし。
ちょっと値が張る(3000円前後)のが難だけど、割れるものじゃないし、信頼の置けるブランドのもので、パッキン等消耗品の交換部品も充実している。
これはいいかも!もう少し小振り(400cc)だとより良いんだけどねえ。
2008年02月03日
窓の外は雪
早起きして作業をしていて、7:00前、カーテンを開けてみると、窓の外が雪景色なのでびっくり。どうりで静かな朝だと思った。
津市内でも4センチくらい積もったらしい。こんなにこんなに振ったのは3年ぶりくらいかしら。さぶっ。
2008年02月02日
ちーずほんぢゅ
昨日園で子どもたちと一緒に観たアンパンマンのビデオに、「チーズフォンデュさん」という、アルペンホルンを吹く、鍋の頭のおばさんが出てきて、ジャムおじさんたちに、フォンデュを振る舞っていた。
それがあんましおいしそうだったので、今夜はそのままチーズフォンデュ。
フランスパン、ブロッコリー、ジャガイモ、にんじん、大根、ウインナーで。
予習のため、食べる前にコドモにもビデオを見せたら、用意ができるなり、心得たとばかり、パンを串で刺して、鍋につっこみ、チーズを絡めて食べていた。
ああ、食べたいと思ったものが直ぐに食べられるこのぜいたく。ほんまにありがたいことです。
2008年02月01日
鰯を焼く

園での節分の取り組みとして、鰯を焼いて食べた。
七輪の炭火で、3人で手分けして150尾くらい。良い具合に焦げ目がついておいしそう!これを片っ端からかじりつつ、ぷしゅっとビールなんか開けて飲んだらおいしーだろうなあ、と思いつつ、もちろんガマンして。
子どもたちが見物に寄ってきて、いいにおい〜と鼻をくんくんさせていた。保育士が、「かしこくなるよう、けむり、あたまにもらっとき」と手で扇いで見せると、子どもたちが一斉に真似していた。
お寺やの香やないねんから。イワシの煙じゃあ、魚臭くなるだけや、っちゅうねん。
この辺りの園では、何時の頃からか鬼が出てきて豆で追っ払う、という取り組みをしなくなっている。「鬼は悪者」という決めつけが差別を助長するから、ということらしい。決めつけも何も、「鬼」は災いや病気、人の心の邪だったり弱かったりする面の象徴なんだから、悪いものを悪いと言ってどういかんのか、よくわからないんだけど。
実際の鬼がいるわけではないし、赤とか青の顔をして角が生えてる人ってのも見たことないし。
そもそも、鬼に扮して大暴れして、子どもたちをびびらせ泣かせまくるのって、楽しいのにねえ(ぼくが)。
コドモの園ではふつーに鬼が来て豆まきをしたみたい。朝は「おにがきたらまめをえいっとぶつけてやっつける」と息巻いていたコドモだが、やってきたのが、紙のお面とかではなく、顔に直にペインティングしたリアルな鬼だったらしく、彼はクラスで一番大泣きしていたらしい。
晩に話を聞くと、「おにがきて、まめをなげたんだけど、あたらなかったからこわくなっちゃったの」と言っていた。「でも、うめぐみのおおきいおにいちゃんがきて、まもってくれたの」って。
彼には相当強烈な体験だったみたい。やっぱり楽しいやん、豆まき。
