2007年11月30日
なければつくる
保育園で、絵本の貸出日、2才児クラスの女の子が、お迎えに来たお母さんと二人で「ねずみのしっぽ」という絵本を探していた。見た覚えがないし、一緒に探してみても見当たらない。「ねずみくんのしっぽ」とか「ねむいねむいねずみくん」を勧めてみたけれど、(とーぜん)コレじゃない!と言う。
頑固な子で、30分くらいそうやってぐずぐずしていたら、担任が通り掛かって話を聞いて、そういう紙芝居を見たことがあるわ、と教えてくれた。探したら、あったあった、「ねないこだれだ」のせなけいこさんのだった。
それをその場でお母さんに読んでもらって、何とか帰っていっていた。
さて、「さがしとくわ」と言ったものの、調べてみると「ねないこだれだ」は紙芝居でしか出ていないみたい。それなら、と(ホンマはイカンのだけど)ムリヤリ本を作ってみた。
大判でスキャンするのが面倒なので、並べて写真を撮って、加工して、文字は手入力で、印刷して切って貼って。これをものすごく恩着せがましく(^_^;)貸してあげるつもり。
「なければつくる」って大好き(b-Cafeだってそう)。
「あってもつくれそうなものはつくる」ってのも好き。けど、こっちは、不当に安いモノが多くて、つい「買った方が楽だわ」という方に流れてしまいがちなのだけど。
2007年11月28日
すてきなカレンダー
年長クラスで過ごしていたら、ある女の子が、「カレンダーあげる」と言って、折りたたんだ紙をくれた。開いて見てみると、手書きのマス目に数字やらスタンプやら文字やらが書き込まれている。よく見ると、「でーとのひ」がいくつかあって、それ意外は「はしるひ」になっている。
デートの合間をぬって走り込んでるって、なかなかストイックで好ましいなあ、アスリートなのかなあ・・なんて思いながらその子に「デートって、だれとするの?」と尋ねてみたら、ちょっと恥ずかしそうに「・・あたしと(*^^*)」と言う。
えええっ、これってぼくのスケジュールなの!?走らんといかんの!?ほんで、でーとせんならんの〜!?
わりと悪い気はしないのだけど、ストーカーっぽいひとにこういうのをもらったら、こわいよなあ・・。
2007年11月27日
絵本がいっぱい!
保育園で、参観の後、保護者を対象とした、絵本に関する講演がありました。講師ふたりが「こうやって見せびらかすの」と手持ちを絵本をどっさり持ってきて、自作の展示台やあり合わせの箱なんかを使って、ずらーっと並べて見せてくれました。これはもう圧巻!
b-Cafeも、こんなふうに、入ったら「わぁ、絵本がいっぱい!」とびっくりしてもらえるようにしたいなあ。
2007年11月26日
階段は転がり降りてはいけない
階段を落ちたのは始めてでした。
昨日夕方、自分の部屋でしていた仕事がひと段落して、階下に降りようと階段に脚を踏み出した瞬間、電話が鳴ったので部屋に戻ろうと振り返った際、バランスを崩してしまい、とっさにどこか頼るところを探したが、手が空をつかんだ。
「うっわ〜、おっちるぅぅぅ!」と無意味に叫びながら、何がどうなったのか分からないけど、何回転かして階段を転げ落ち、前方の壁に頭からぶつかって停まった。自分の体がどうなっているのか、こわくてしばらくじっとしてから、体を起こしてみたら、どうやら動くみたい。最後に着いた右手の肘辺りと衝突してねじ曲げられた首、打ち付けたらしい腰に痛みがあるが、立ち上がって歩くこともできる。ヘンな音はしなかったので、ホネも大丈夫みたい。
大きな音がしたので、ツレアイやコドモが駆け寄ってきた。
コドモが「おとーさん、おちたの?だいじょうぶ?びょういんいくの?きゅきゅうしゃのる?・・・だいじょうぶかどーか、みてあげる」と言って、自分の病院ごっこセットの手提げを持ってきて、はいあーんして、と口の中を覗いてくれた。「むしばはだいじょうぶ」だって。
しかしびっくりした。浮き足立ってるから、ちょっと落ち着きたまえ!ってことなのかしらん。今日外科に行ってみたら、打撲程度で、骨に別状はない、って。良かった、これくらいで済んで。感謝、感謝。
昨日夕方、自分の部屋でしていた仕事がひと段落して、階下に降りようと階段に脚を踏み出した瞬間、電話が鳴ったので部屋に戻ろうと振り返った際、バランスを崩してしまい、とっさにどこか頼るところを探したが、手が空をつかんだ。
「うっわ〜、おっちるぅぅぅ!」と無意味に叫びながら、何がどうなったのか分からないけど、何回転かして階段を転げ落ち、前方の壁に頭からぶつかって停まった。自分の体がどうなっているのか、こわくてしばらくじっとしてから、体を起こしてみたら、どうやら動くみたい。最後に着いた右手の肘辺りと衝突してねじ曲げられた首、打ち付けたらしい腰に痛みがあるが、立ち上がって歩くこともできる。ヘンな音はしなかったので、ホネも大丈夫みたい。
大きな音がしたので、ツレアイやコドモが駆け寄ってきた。
コドモが「おとーさん、おちたの?だいじょうぶ?びょういんいくの?きゅきゅうしゃのる?・・・だいじょうぶかどーか、みてあげる」と言って、自分の病院ごっこセットの手提げを持ってきて、はいあーんして、と口の中を覗いてくれた。「むしばはだいじょうぶ」だって。
しかしびっくりした。浮き足立ってるから、ちょっと落ち着きたまえ!ってことなのかしらん。今日外科に行ってみたら、打撲程度で、骨に別状はない、って。良かった、これくらいで済んで。感謝、感謝。
2007年11月25日
ぽかぽか
午前中、コドモを連れて公園に行ったら、暖かくて気持ち良かったので2時間くらい、長居してしまいました。居合わせた子たちとも友だちになって。木の枝を集めて、線路と駅を作ったの。石ころは汽車。帰りに、近所のマンションの最上階に上って、ウチの周辺のパノラマを眺める。タダで見放題(^^)
2007年11月24日
シアワセの秘訣
「シアワセ」ってなんだろう、ってずっと考えて続けているのだれど、最近たどり着いたのが「感謝と寛容」というキーワード。
幸せというのは心の状態で、かたちのあるもの、どこかからやって来るもの、だれかが持って来てくれるもの、いつか見つかるものなどではけしてない。その「幸せな心の状態」に至り、維持するための方法は、感謝すること、許し受け容れることなのだと思うようになった。
「感謝と寛容」の対極にある不幸せの法則は「不満と怒り」。無い物ねだりに夢中になって自分をカワイソウがり、周りに当たり散らしてバリアーを巡らせていると、それはそれで案外居心地が良かったりするのだけれど、人と共有しうる「シアワセ」からははるか遠ざかってしまう。
日々の苦労に取り込まれてこの世をずっぽりネガティブに捉えるより、それでも生かされていることに感謝して暮らす方が明るい、楽しい。
隣人への不平を並べ立ててますます不満を募らせるより、どの人も自分と同じく、たましいの学びの半ばで試行錯誤の真っ最中なのだと肝に据えて、良い面を探しながら笑顔で接する方が、ずっと心穏やかに過ごせるし、実際関係も良くなる。
かと言って現状に満足すればいいのだから、社会に対するアクションは不必要なのだ、と言っているわけではない。人の幸せを願うのなら、まず何より、自分自身がそうでないと、分け与えることなんてできないのだから、しっかりと「自分のシアワセ問題」に取り組まねばならないとのだと思う。
感謝すること、許すこと。何を今さら、というくらい当たり前のことなんだけど、それを体現することのいかに困難なことか。反省の日々だけれど、少しずつは良くなって行けますように。
コレも、「今さら」なんだけど、こんなのを見て改めて、自分に与えられた幸せを思い出したりするのだわ。↓
幸せというのは心の状態で、かたちのあるもの、どこかからやって来るもの、だれかが持って来てくれるもの、いつか見つかるものなどではけしてない。その「幸せな心の状態」に至り、維持するための方法は、感謝すること、許し受け容れることなのだと思うようになった。
「感謝と寛容」の対極にある不幸せの法則は「不満と怒り」。無い物ねだりに夢中になって自分をカワイソウがり、周りに当たり散らしてバリアーを巡らせていると、それはそれで案外居心地が良かったりするのだけれど、人と共有しうる「シアワセ」からははるか遠ざかってしまう。
日々の苦労に取り込まれてこの世をずっぽりネガティブに捉えるより、それでも生かされていることに感謝して暮らす方が明るい、楽しい。
隣人への不平を並べ立ててますます不満を募らせるより、どの人も自分と同じく、たましいの学びの半ばで試行錯誤の真っ最中なのだと肝に据えて、良い面を探しながら笑顔で接する方が、ずっと心穏やかに過ごせるし、実際関係も良くなる。
かと言って現状に満足すればいいのだから、社会に対するアクションは不必要なのだ、と言っているわけではない。人の幸せを願うのなら、まず何より、自分自身がそうでないと、分け与えることなんてできないのだから、しっかりと「自分のシアワセ問題」に取り組まねばならないとのだと思う。
感謝すること、許すこと。何を今さら、というくらい当たり前のことなんだけど、それを体現することのいかに困難なことか。反省の日々だけれど、少しずつは良くなって行けますように。
コレも、「今さら」なんだけど、こんなのを見て改めて、自分に与えられた幸せを思い出したりするのだわ。↓
2007年11月23日
店構え、物件
カフェの夢想をリアルにするにはとーぜん、実際にお店を開かねばならない(あたりまえやんけー)。
自分好みからするとおそらく、和を基調としたシンプルでシックな造りになるだろう。スマートさの中で、やわらかさ、あたたかさを表現したいと思う。そして、団欒のある「おうち」の雰囲気を盛り込みたい。
・・・と考えていたら、「おうち」を演出したいのなら、いっそ民家を改装したらええやん、と思いついた。ものすごく年期の入った古民家とまでは言わないけど、家が規格化量産化される以前の、ていねいに作られていたころ(昭和前半くらいかなあ)の。家屋だったら必ず台所やトイレなど、店に必要なものは揃っているし(風呂は要らんけど)。赤ちゃんが這い回るのなら、柔らかいフロアが良い。その点家なら畳敷きじゃん(畳って、ハイハイの練習に最適らしい)。
そんな風に考えていた矢先、この春先、ウチの近所で、そういう味わい深い家が貸しに出ていた。コレは!と思って早速不動産屋に連絡して見せてもらったら、やっぱりなかなか良い感じ。場合に寄ってはソッコーで、とまで思ったのだけど、使用目的について話をしたら、たちまち渋い顔をされた。
住まいにするのではない、色んな人が来て・・と言ったら、すぐさま「宗教ですか!?」と言われた。そうではなく、地域に貢献するための集いの場なのだわ、と説明しても、すんなりと受け容れてもらえない様子。その後、大家に確認を取って貰った結果、やはり「不特定多数の人が利用するのはちょっと・・」という返事で断られてしまった。
やっぱり民家は無理なのかなあ、と思っていたら、4月から保育園に通い始めたコドモを園に連れて行く途中、「店舗として活用するアイデアをお持ちの方募集」という張り紙のある家がを見つけた。なんじゃこりゃ、まさしくコレではありませんか!と思って、自転車を停め、家の周りをぐるぐる歩いたり窓から覗いたりして、ねめ回した。間仕切りはあるものの、ふすまを外せば広い続きの部屋として使えそう。縁側や庭もあってすてき。
大家の連絡先を控えて、ある程度構想がまとまったら電話を入れてみよう、と思いながら、毎朝その前を通っていたのだけれど、ある日、張り紙が剥がされていて、もしやと思ったら、その数日後引っ越しの搬入作業をしていた(;_;)
そんなこんなで話が流れ(話にもなってないけど)こないだのセミナーに出て、講師に民家を改装する案について相談してみたところ、出来ないことはないだろうけど、おすすめはしない、という答えだった。客やスタッフの導線を考えると最初から店舗としてデザインする方がいい、ましてや小さな店なら、隔離された台所では、店内に目が届かないのでは、と提案された。それも一理ある。
けれど、懐かしい感じのする優しいお家を自分たちで(お金もないし!)こつこつ改装して、愛着の持てる空間を作り上げる作業も捨てがたい。はてさてどーしよう。
・・・なんかええ物件ないかなあ。(情報モトム!)
自分好みからするとおそらく、和を基調としたシンプルでシックな造りになるだろう。スマートさの中で、やわらかさ、あたたかさを表現したいと思う。そして、団欒のある「おうち」の雰囲気を盛り込みたい。
・・・と考えていたら、「おうち」を演出したいのなら、いっそ民家を改装したらええやん、と思いついた。ものすごく年期の入った古民家とまでは言わないけど、家が規格化量産化される以前の、ていねいに作られていたころ(昭和前半くらいかなあ)の。家屋だったら必ず台所やトイレなど、店に必要なものは揃っているし(風呂は要らんけど)。赤ちゃんが這い回るのなら、柔らかいフロアが良い。その点家なら畳敷きじゃん(畳って、ハイハイの練習に最適らしい)。
そんな風に考えていた矢先、この春先、ウチの近所で、そういう味わい深い家が貸しに出ていた。コレは!と思って早速不動産屋に連絡して見せてもらったら、やっぱりなかなか良い感じ。場合に寄ってはソッコーで、とまで思ったのだけど、使用目的について話をしたら、たちまち渋い顔をされた。
住まいにするのではない、色んな人が来て・・と言ったら、すぐさま「宗教ですか!?」と言われた。そうではなく、地域に貢献するための集いの場なのだわ、と説明しても、すんなりと受け容れてもらえない様子。その後、大家に確認を取って貰った結果、やはり「不特定多数の人が利用するのはちょっと・・」という返事で断られてしまった。
やっぱり民家は無理なのかなあ、と思っていたら、4月から保育園に通い始めたコドモを園に連れて行く途中、「店舗として活用するアイデアをお持ちの方募集」という張り紙のある家がを見つけた。なんじゃこりゃ、まさしくコレではありませんか!と思って、自転車を停め、家の周りをぐるぐる歩いたり窓から覗いたりして、ねめ回した。間仕切りはあるものの、ふすまを外せば広い続きの部屋として使えそう。縁側や庭もあってすてき。
大家の連絡先を控えて、ある程度構想がまとまったら電話を入れてみよう、と思いながら、毎朝その前を通っていたのだけれど、ある日、張り紙が剥がされていて、もしやと思ったら、その数日後引っ越しの搬入作業をしていた(;_;)
そんなこんなで話が流れ(話にもなってないけど)こないだのセミナーに出て、講師に民家を改装する案について相談してみたところ、出来ないことはないだろうけど、おすすめはしない、という答えだった。客やスタッフの導線を考えると最初から店舗としてデザインする方がいい、ましてや小さな店なら、隔離された台所では、店内に目が届かないのでは、と提案された。それも一理ある。
けれど、懐かしい感じのする優しいお家を自分たちで(お金もないし!)こつこつ改装して、愛着の持てる空間を作り上げる作業も捨てがたい。はてさてどーしよう。
・・・なんかええ物件ないかなあ。(情報モトム!)
2007年11月21日
亀柿
こないだ、ウチのとなりのおじいさんが、庭の柿の木に、
おもしろいのがなっていた、と言ってこんなのを持ってきてくれた。
めっちゃ「かめさん」!
「(以前いて、家出してしまった)おたくのかめちゃんの生まれ変わりかもしれやんなあ」
と言ってプレゼントしてくれたんだけど、それはナイと思う。
でもありがとう。しばらく玄関に飾って、今朝剥いていただきました(合掌)
2007年11月19日
あらためまして
起業セミナーでミエワンを紹介され、取り急ぎ、とブログを立ち上げはしたものの、その後ばたばたと日が過ぎてしまったので、ここであらためてご挨拶させていただきます。
生まれ育った大阪を離れ、三重県の津市に住まって5年目になります。大阪にいた頃も含めここ十数年保育士として働いています。園では子どもまみれですが、ウチにも3才半になる男の子がいます。
1.
子育てをめぐる悲しい事件が後を絶ちません。我が子に手を掛けるなど、もちろんやっちゃいけないことなのだけど、園でも家でも、忙しい時間に子どもにまとわりつかれ手間を取らされ、おまけに自分に日々の疲労がたまっていたりすると、ふとしたはずみで越えてはならない一線を越えてしまいそうになることは多々あります。全く他人事とは思えません。
紙一重の違いは、向こうに行ってしまった人たちにとっても同様で、ほんのちょっと、息をつく間、少しだけ誰かに寄りかかるひと時があれば、多くの人が救われたはずです。
2.
食をめぐる混乱。「食育」を押しつけられねばならないほどに、あたりまえの「食べる」ということが踏みにじられています。身近にあるおいしいものをいただいて、健やかに暮らしてゆく、ただそれだけのことなのに、世の中にはニセモノ、食べるとビョーキになってしまうようなものがあふれ、ごくふつうの食事という営みが見えにくくなっています。
3.
文化の貧困。究極の真理なんてとうに明かし尽くされていて、ぼくらはそれを何とか掘り出し思い出すのに果てしない労力を費やしています。人類の知恵、手の技、心の還るべき場所。生きることなんてほんとはびっくりするくらいシンプルなのに、過剰な装飾そのものの中に価値を見出そうとして、モノの世界の深みにずぶずぶとはまってゆきます。
ぼくの中でそんな思索が交わった一点が「b-Cafe」なのでした。
「b」は「baby(かわいいっ)」、「breath(呼吸、ひと息)」「(智慧と文化の象徴としての)books」。
具体的には、ごく小さな子どもを連れたお母さんでも、安心して利用できるよう、工夫と配慮を暮らしたカフェ。「食」「憩い」「文化」を柱とし、心づくしのもてなしで、お母さんを始め子どもを取り巻くすべての人たちを迎える場所です。
・・・なぁんて、大風呂敷にぶちまけたソーダイな美しい夢を、シロートがどこまでかたちにできるのか、そのチャレンジの軌跡を綴ってゆければ、と思っています。
あらためて、よろしくお願いいたします。m(__)m
生まれ育った大阪を離れ、三重県の津市に住まって5年目になります。大阪にいた頃も含めここ十数年保育士として働いています。園では子どもまみれですが、ウチにも3才半になる男の子がいます。
1.
子育てをめぐる悲しい事件が後を絶ちません。我が子に手を掛けるなど、もちろんやっちゃいけないことなのだけど、園でも家でも、忙しい時間に子どもにまとわりつかれ手間を取らされ、おまけに自分に日々の疲労がたまっていたりすると、ふとしたはずみで越えてはならない一線を越えてしまいそうになることは多々あります。全く他人事とは思えません。
紙一重の違いは、向こうに行ってしまった人たちにとっても同様で、ほんのちょっと、息をつく間、少しだけ誰かに寄りかかるひと時があれば、多くの人が救われたはずです。
2.
食をめぐる混乱。「食育」を押しつけられねばならないほどに、あたりまえの「食べる」ということが踏みにじられています。身近にあるおいしいものをいただいて、健やかに暮らしてゆく、ただそれだけのことなのに、世の中にはニセモノ、食べるとビョーキになってしまうようなものがあふれ、ごくふつうの食事という営みが見えにくくなっています。
3.
文化の貧困。究極の真理なんてとうに明かし尽くされていて、ぼくらはそれを何とか掘り出し思い出すのに果てしない労力を費やしています。人類の知恵、手の技、心の還るべき場所。生きることなんてほんとはびっくりするくらいシンプルなのに、過剰な装飾そのものの中に価値を見出そうとして、モノの世界の深みにずぶずぶとはまってゆきます。
ぼくの中でそんな思索が交わった一点が「b-Cafe」なのでした。
「b」は「baby(かわいいっ)」、「breath(呼吸、ひと息)」「(智慧と文化の象徴としての)books」。
具体的には、ごく小さな子どもを連れたお母さんでも、安心して利用できるよう、工夫と配慮を暮らしたカフェ。「食」「憩い」「文化」を柱とし、心づくしのもてなしで、お母さんを始め子どもを取り巻くすべての人たちを迎える場所です。
・・・なぁんて、大風呂敷にぶちまけたソーダイな美しい夢を、シロートがどこまでかたちにできるのか、そのチャレンジの軌跡を綴ってゆければ、と思っています。
あらためて、よろしくお願いいたします。m(__)m
2007年11月18日
やきいも
きのうもきょうも、おやつはやきいも。
ツレアイのお母さんが送ってくれたものを、
デロンギのオーブンに1時間ほど放り込んどいただけなんだけど、これがおいしいの。
皮の内側で身が蒸し焼きになるらしく、ほこほこのスイートポテトみたいになっている。
「もっとちょーだいよう!」と言うコドモと取り合うようにしてむしゃもしゃ食べたのでした。
夕食は、きりたんぽ鍋。
2007年11月17日
「しつけ」
きょう、ちょこっとした裁縫をしていて思ったこと。
ミシンがけをするとき、合わせた布がずれないよう、なみ縫いでにしつけをしていて気付いたのだけど、子どもの「しつけ」も、こんな、ごくゆるーい縫い目程度でいいんじゃないかしら。
最低限の格好が付く程度に(とはいえここで欲張ってしまいがちなのだけど)、そして人の道を外れない程度に。
彼の人生を縫い上げてゆくのは彼自身なのだし、細かすぎるしつけ縫いは、後で糸を抜くのに手が掛かるのだわ。
なんやかんやゆうてヒマなぼくらなんだけど、抑えて、がまんして、手出しを控えて、そっと彼のさいわいを祈っているくらいでちょうど良いのだと思う。
涼しくなってくると押し入れから引っ張り出して、冬中くるまっている 愛用のどてら の修繕をしたのでした。傷んだわけではないのだけれど、粗めの生地が首に当たるとちくちくするので、ハギレのやさしいので襟をくるみ、ついでに結わえひもも作って付けたのでした。
「しつけ」のことを思いながら、軽快に動くミシンに感謝しながら縫っていると、突然針があらぬ方向に飛んでゆくのでびっくりしたら、傍らでずっと見ていたコドモが、勝手にダイヤルを回して「ジグザグ」にしたのでした。なにするねーん。
2007年11月03日
セミナー終了
(↑私ではありません)
「ビジネスプランブラッシュアップ講座」が終了しました。
最終日は一人持ち時間5分のプレゼンテーションでした。午前中の講義で、プレゼンにパワーポイント等のスライドを用いる場合スライドをどんどんめくるのではなく、1枚につき最低1分は使うこと、つまり5分なら5枚程度、という指導があったのですが、ぼくが張り切って用意して行ったのは何と20枚。
もちろん時間内にゆとりを持って説明することなど出来ず、後半は滝から落ちるように、どどどばーっとスライドを進めつつ3倍速くらいで説明を済ませました・・・。やっぱり練習が大切です。
いやはや充実した5日間で、ひと月があっという間に過ぎてしまいました。たっくさんもらったヒントを、これからじっくり(自分の尻を叩きつつ!)消化してゆくつもりです。
お世話になった皆様、ありがとうございました。
2007年11月01日
絵本の部屋リニューアルオープン

保育園で仕事をしています。10月に入ってから、ずっと中断していた家庭への絵本の貸し出しを再開することになり、ぼくがその担当となってここしばらく準備を進めて来て、昨日がその初日でした。
まずは、放置されて倉庫状態になっていた部屋の片付けと掃除から。それから、無造作に棚に詰め込まれた絵本を、出版社やジャンルで仕分けして並べ直す。各クラスから、使われていない本を持ち寄ってもらって蔵書を増やした。さらに、図書館から団体貸し出し(100冊まで借りられる)してもらって、新しい絵本が入れ替わるようにした。
それから部屋の案内板を作ったり、貸出日に各クラスで掲示してもらうお知らせボードを配ったり。そして最後にようやく部屋の装飾、と言っても秋の吊りモノを下げて、壁に、絵本のカバーの切り抜きを貼っただけだけど。
当日昼には、各クラスに、貸し出しや返却の手順を説明て、帰りの集まりやお迎えの際、声かけをしてもらえるよう、あらためてお願いして回った。
甲斐あって、出だしはぼちぼちだったものの、なかなかの盛況だった。今回提案した親子を対象とした絵本の読み聞かせも、始め人が集まらず、クラスで残っている子からサクラをよこすよう頼みにいったくらいなのだけど、その後どやどや来てくれて狭い部屋がぎゅうぎゅうになった。
奇しくもちょっとしたお店オープンのシュミレーションをしたみたいな気がする、というか実際商売始めるっては、こういう細かい作業をこの何百倍も重ねなきゃならないのだなあ、と実感したのでした。
b-Cafeでは、絵本が大きな存在を占めるので、とても良い機会をいただくことができました。ありがとう。
